クリスマス島 (オーストラリア)

クリスマス島
Territory of Christmas Island
クリスマス島の旗クリスマス島の紋章
(地域の旗)(地域の紋章)
地域の標語:なし
地域の歌:アドヴァンス・オーストラリア・フェア
クリスマス島の位置
公用語英語
主都フライング・フィッシュ・コーブ(セトルメント)
最大の都市フライング・フィッシュ・コーブ(セトルメント)
政府
女王エリザベス2世
総督ピーター・コスグローブ
(Peter Cosgrove)
行政官英語版バリー・ハーゼ英語版
(Barry Haase)
シャイア議長英語版フー・キー・ヘン
(Foo Kee Heng)
面積
総計136km2N/A
水面積率極僅か
人口
総計(2011年2,072人(N/A
人口密度15.2人/km2
成立
英領へ編入宣言1888年6月6日
オーストラリア領に編入1958年10月1日
通貨オーストラリア・ドル (AUD)
時間帯UTC +7DST:なし)
ISO 3166-1CX / CXR
ccTLD.cx
国際電話番号61
フライング・フィッシュ・コーブ

クリスマス島 (Christmas Island) はインド洋にあるオーストラリア連邦領のである。西オーストラリア州パースの北西2360km、インドネシアジャカルタの南500kmの南緯10度30分、東経105度40分に位置する。面積は 136km2で、その63パーセントが国立公園になっており、熱帯雨林で覆われている。人口は2,072人。1888年にイギリス領となり、1958年にオーストラリア領となった。多数のアカガニが産卵期に島を埋め尽くすことで有名。

歴史

クリスマス島を発見した人物は、不詳である。17世紀はじめのイギリス、オランダの海図には記録があり、1615年2月3日イギリス東インド会社の ジョン・ミルウォードがトマス号で島を見出したのが最初の記録と考えられている。 ピーター・グースが1666年に出版した地図にはモニ島として記載されている。島名の由来は、イギリス東インド会社の ウィリアム・マイノースが、1643年12月25日(クリスマス)にロイヤル・メアリ号でこの島に到着したことによるが、彼は島には上陸しなかった。

1688年ウィリアム・ダンピアが、シグネット号で初めて島の西岸に上陸し、無人島であることが分かった。彼の記録によると、インドネシアからココス諸島に向かう際に東に流され、28日後に到着したとのことである。

1886年には ジャック・マクレアがフライング・フィッシュ号で来島、島の北東岸に上陸可能な入り江を発見してフライング・フィッシュ・コーブと名づけた。彼らは動植物も採取している。

島に最初に居住したのは、1888年に当時ココス諸島を支配していたジョン・クルーニーズ=ロスと、その弟である アンドリュー・クルーニーズ=ロスらの一行である。彼らはココス諸島への木材等の供給を目的に、フライング・フィッシュ・コーヴに集落を作った。

1887年9月30日から約1週間、 ペラム・アルドリッチはイジェリア号でクリスマス島を訪れた。同船に乗っていた自然科学者ジョセフ・ジャクソン・リスターは、多数の動植物および鉱物を採取した。自らもインドネシア周辺の調査を行った経験のある海洋学ジョン・マレーは、リスターの採取したクリスマス島の土壌に良質のリン鉱が含まれていることを見出した。彼の働きかけに応じて、イギリス海軍は1888年6月6日に島のイギリス領への編入を宣言した。1891年、マレーとクルーニーズ=ロスはイギリス政府から99年間のリン鉱採掘権を与えられ、1897年にクリスマス島リン鉱会社 (Christmas Island Phosphate Company) が設立された。1897年にはマーレー自身クリスマス島に渡り、調査により島の南部で新たな可採箇所を見つけている。リン鉱の輸出は1895年から始まり、1900年に大型貨物船による本格的な輸出が行われるようになり第二次世界大戦まで続いた。主な輸出相手国は日本、オーストラリア、ヨーロッパであった。当時の島はイギリス植民地政府と イギリスリン鉱委員会 (British Phosphate Commission) の共同統治となっていた。

1898年にはイギリス植民地政府の施策で、広東省などから約200名の中国人が採掘労働者として島に送り込まれたのを皮切りに、主に中国人、マレー人(ジャワアンボン出身)が採掘の労働力として島に送り込まれた。彼らは居住地を限定され、中国人はプン・サーン(Poon Saan、半山。山の中腹の意)地区、マレー人はカンポン(Kampong、村の意)地区に集められた。現在に至るまで、島の各地区は当時からの住み分けを色濃く反映している。

第二次世界大戦に入ると、島のリン鉱資源は日本の標的となった。1942年3月7日朝、島は日本軍・南雲機動部隊別働隊4隻(金剛型戦艦榛名金剛》、陽炎型駆逐艦谷風浦風》)の艦砲射撃を受け、同島守備隊は白旗を掲げた[1]。その後、別働隊4隻は白旗を放置して島を去ったが、島内では抗戦を主張するイギリス人と、降伏を主張するリン鉱労働者との意見が分かれた。同31日、第十六戦隊(司令官原顕三郎少将)と第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将)によるクリスマス島攻略作戦(軽巡洋艦3隻、駆逐艦3隻、哨戒艇2隻、輸送船2隻、油槽船1隻、上陸部隊850名)が実施される[2]。降伏主張者はついにイギリス人5人を殺害して、島をあけ渡した(日本軍のクリスマス島占領)。日本軍はリン鉱の搬出を目論んだが、労働者たちのサボタージュにあい、また輸送貨物船が1943年に潜水艦の攻撃で撃沈されるなどして、同12月にはあらかた島を撤退した。

第二次大戦後

第二次世界大戦が終結した1945年、島はイギリスのシンガポール植民地の管轄下に編入されたが、オーストラリアの要請により実効的な主権はオーストラリアに委譲された。

1948年にはリン鉱採掘はオーストラリア、ニュージーランド両政府とイギリスリン鉱委員会の三者によって行われるようになり、事業の拡大に伴い、ココス島、シンガポール、マレーシアから多量の労働者を迎え入れた。 1957年に、オーストラリアはシンガポール政府に対して290万ポンドを支払い、1958年10月1日、クリスマス島はオーストラリアの領地となった。現在も10月の第一月曜はテリトリー・デイとして島の祝日となっている。

1975年には、採鉱労働者の労働組合が初めて結成され、以後労働環境や労働者の生活改善が進んだ。会社は1981年にクリスマス島リン鉱採掘会社 (Phosphate Mining Company of Christmas Island; PMCI) となり、イギリスリン鉱委員会はオーストラリア、ニュージーランド両政府に採掘権を譲渡した。1980年、1982年には今後のリン鉱採掘についてのオーストラリア政府の諮問に対し、W. W. スウィートランドが業務を公営寄りにすべき旨答申を行った。これに沿って、会社は1985年に公社化されるとともに、島はより一層オーストラリアの影響下に入り、オーストラリアの税制、イギリス連邦の選挙制度が適用された。

一方で、1970年代にはリン鉱採掘による熱帯雨林破壊が問題となりだした。1980年に島の西部が国立公園に指定され、1986年、1989年にその地域が拡大された。こうした動きに加え、良質な可採リン鉱の減少、リンの市場価格低下によって、公社は1987年11月で採掘を休止した。これに対して労働組合が中心となり、1990年9月にリン鉱資源株式会社 (Phosphate Resources Limited; PRL) を設立し、雇用の確保に当たった。会社は2018年までのリン鉱のリースを公社から受けているが、2005年現在、新たな採掘は行わず、これまで加工されずに野積みされていた分を加工出荷している。

新たな雇用創出を目的として、政府はカジノリゾートを計画した。1993年にウォーターフォール地区に施設が完成し、航空会社の協力を得てオーストラリア本土、東南アジアからの集客を期待したが、結果的に失敗に終わった。

クリスマス島はオーストラリアで最もアジア寄りの土地のひとつであるため、1970年代からアジアの難民が漂着していた。1980年代には下火になるものの、1990年代には再度増加し、2001年にはタンパ号事件が起きた。これはノルウェーの貨物船タンパが、沈没しかけた船からアフガニスタン難民を主とする人々を救助した後、難民たちの要求でクリスマス島に入港を求めたが、オーストラリア政府に拒否された事件である。島民たちは難民受け入れに賛同したが、政府は特殊部隊により港を閉鎖し、結局、第三国への移送を決定した。難民たちはニュージーランドとナウルで難民認定の審査を受け、ニュージーランド、オーストラリア他の国に定住することとなった。なお、このように難民(オーストラリアからすると不法移民)をオーストラリアに入国させず、他国で難民審査を行うことを、パシフィック・ソリューション (Pacific Solution) と称している。2007年に就任したケビン・ラッド政権は政権公約に従いパシフィック・ソリューションを廃止し、2008年2月までに審査中の難民をオーストラリア国内に移送した。

この事件を契機として、2001年12月には島の西部マーレー・ヒルの鉱石採掘跡に応急処置的に非公式の受け入れ施設が作られたが、その規模が小さく設備も不十分であるため、政府は800人収容の受入審査施設 (Immigration Reception and Processing Centre) を計画し、クリスマス島移住受付処理センターを建設をした。

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